今回は、SOCIAL総合司法書士事務所所長の丸田幸一先生にご登壇頂きました。司法書士として、今年で24年のキャリアを重ねられてきた丸田先生。その間には、依頼者の個別の問題に寄り添う内に、世間の弊害に対し、積極的且つ果敢に対処してきた案件が、いくつもありました。家賃の滞納に対して、人権を無視した督促を行なった『追い出し屋』への対応。法外な利子を要求した『ヤミ金問題』の真実に迫る為、メディアに企画を持ち込んで敢行した突撃取材等々。我が身に危険が及ぶような行為を、敢えて実行してきた想いとは何だったのか。いつもの穏やかな口調で、訥々と語って頂きました。
丸田先生が歴史に興味を抱いたのは30代前半の頃。当時、不動産営業として、とにかく成果を挙げることに貪欲だった時期。先生は、とある情報を小耳に挟みます。「経営者は大河ドラマをよく観ているらしい」と。当時からご自身の業績とコストを経営感覚で捉えていた先生は、そこから少しずつ歴史に興味を持ち始めます。
新世紀に入って最初の大河ドラマ『葵徳川三代』は、まさしく「徳川株式会社創業期」の物語で、司法書士として独立したての先生の好奇心を、強く刺激しました。以来、徳川家康が実践してきた「辛抱と駆け引き」は、先生の事務所経営にも大きく生かされます。
さらに、40代の先生を待ち受けていた偉人が、幕末において際立つ異彩を放った知の巨人、吉田松陰でした。かの偉人の研究家である一坂太郎氏から学んだ、松陰哲学の神髄「知行合一」は、先生の行動原理となりました。学問は、世の中のためにするもの。実践しない学問は、学問ではない。人はみな、それぞれに独特の才能を秘めている。松陰哲学は、「司法書士という公の資格をどのようにして社会に還元していくか」という先生の命題に、明確な道筋を与える礎となったのです。
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