寒さも幾分と和らぎ、気持ち良く散歩が出来る季節になりました。福岡県民のお散歩スポットと言えば、やっぱり大濠公園。今回と次回は、その大濠公園の産みの親でもある、伝説の億万長者のお話です。
その億万長者とは、本多静六。慶応生まれの林学博士で、生涯を通じて全国各地の名だたる公園設計や風景策に携わり、「日本の公園の父」とも呼ばれています。
一方で、彼は巨額の資産を一代で築いた投資家としても知られ、その資産額は、静六40歳代にして、(現在価値に換算して)既に百億円に達していたそうです。いくら、有名な公園を幾つも手掛けた人とはいえ、一介の林学博士。当時の月給取りが、そんな資産を築く事は可能だったのでしょうか?その資産形成の秘密を、彼自ら著したのが、『私の財産告白(本多静六著/実業之日本社刊)』です。先の大戦の終戦直後、静六84歳の頃に執筆された本ですが、今なお、投資家の間では座右の一冊として、名前が挙がる程の人気です。
静六は、埼玉の貧農に生まれ、少年期から学生時代にかけて大変な貧乏を味わったようです。苦学の末に、国費でドイツ留学させてもらえるまでに成長した静六青年は、帰国後25歳にして東京大学の農学部助教授に任官します。既に大家族を養わなければならなかった彼ですが、そこから資産形成の第一歩を踏み出すのです。
そこでまず始めたのが『本多式四分の一貯金法』。毎月のお給料の四分の一を、なかったものとして強制貯金するというもの。当時、教員として体裁を保てるぎりぎりの額だったお給料も、四分の三ともなれば家計は辛い。家族が貧乏に喘ぐ声にも歯を食いしばり、徹底してやり続けたところ、次第に昇給と慣れも手伝って、苦労ではなくなったそうです。
静六は、なぜストイックに勤倹貯蓄に励むことにしたのか。そこには留学時代の恩師の教えがありました。恩師は静六に、学者としての経済的自立の重要性を説きます。金に困れば、その為に研究の自由を制せられ、心にもない屈従を強いられるだろう。それは、何をおいても真理を探究せねばならぬ学者にとって、一番忌むべき事なのだ、と。恩師の言葉を胸に抱き、今までの貯蓄を更に成長させるべく、静六青年の投資家人生が始まります。(次回後編に続く)
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