前回は、大学教員として働き始めた貧農出身の静六青年が、なぜストイックな倹約生活に励んだのか、その理由をお伝えしました。
今回も引き続き、『私の財産告白(本多静六著/実業之日本社刊)』から、超倹約生活で蓄えたお金を元手に、静六がどのような投資術を駆使して莫大な財を築いたのか、要約してお伝えしますね。
静六のドイツ留学時代の恩師は、帰朝後にある程度のお金を貯めたら、幹線鉄道と土地山林に投資するよう、彼に奨めていました。明治後半の日本ですから、今後、飛躍的にインフラ関連の開発整備が進むことを予見していたのでしょう。恩師の教えの通り、静六は、鉄道や電気ガスなどの優良株から少しずつ種類を増やして購入し、さらに将来を見越して、比較的安い土地山林を買い進めていきました。本業が林学博士なだけに、山林購入は研究材料としての価値もあり、大いに役立ったそうです。
株式売買については、自己流の堅実なルールを決めて、その徹底遵守を生涯に渡り貫き通します。
購入時は、証拠金取引を一切行わず、買受金を全て準備したうえで臨みました。また売却時機も、「二割利食い、十割益半分手放し」※といったルールに則り、感情感覚に判断を委ねない、合理的手法で取引を納めました。
預金や株式、山林投資などを適切に資産分散させたうえで「焦らず、怠らず、時の来るを待つ」。且つ「好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を」繰り返すことで、静六の財産は、現在価値にして百億円にまで達するのです。確かに、静六の時代と現代とでは、経済状況も投資環境も明らかに違います。しかし、資産構築に対する一部の考え方は、今でも通用するでしょう。
本書あとがきには、こうも記されていました。曰く、「誰もが勝てるが、ほとんどの人がしない勝負」で資産を築いたのが、本多静六という人だったのだと。その真の目的が、お金に左右されない働き方を全うする為だった事も含めて、とても興味深い人物といえます。
※「二割利食い、十割益半分手放し」とは、ある一定の利益が出たところで売却し、決して利益の深追いをしない為のルールです。
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