「利用する」より「支援する」関係性。 小さなカフェがめざす豊かな経済。

 先日、福岡市内で複数の飲食店舗を経営されている若い社長さんにお会いしました。スタッフが楽しそうに働いているのが評判のお店で、7年前の創業から、順調に売上も店舗数も伸ばしています。

 

 お話のなかで、運営の仕組みもさぞ効率的かと思いきや、想像していたよりも手間暇を掛けているご様子で、そこは全く意外な印象。しかしながら、そのスタイルは『お客様に喜んで頂きたい』という想いを、スタッフとともに突き詰めた結果での非効率性であり、また、ご自身にもスタッフにも、『自ら考え行動する』事と、互いが『支援的』である事を求めているのだとか。お話をお聴きしながら、昨年読んだ、あるカフェ店主が著した本を思い出しました。

 

 『ゆっくり、いそげ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~(影山知明著/大和書房刊)』は、東京西国分寺のカフェ、クルミドコーヒーの店主である影山さんが、08年にお店を開店してからのさまざまな試みを通じて、これからの経済やコミュニティのカタチを考察するという内容です。

 

 クルミドコーヒーの事業は多岐に渡ります。長野県産クルミの収穫や流通を通じて、日本の農業生産を取り巻く課題に身近に触れる取り組み。小さな音楽会や哲学カフェの開催によるコミュニケーションの「場づくり」。地域通貨の運営や出版事業等も行っています。

 

 カフェを開業する前は、外資系コンサル会社で投資ファンドに携わっていた影山さん。刺激的で興味深い世界に身を置きながら、一方で抱えていた忸怩(じくじ)たる思い。それは「ビジネスが売上・利益の成長を唯一の目的としてしまいがちで、人や人間関係がその手段と化してしまうこと」への懸念でした。そのために「景観が壊され、コミュニティは衰退し、文化は消費される対象」になっているのではないかと。

 

 本来は手段であるはずの事業成長やお金儲けが目的化すると、人間関係も『利用し合う』関係性へと変貌し、その先には生きづらさだけが待っている。経済も人間関係も、もっと『支援的』であるべきなのでは?カフェでのさまざまな挑戦は、それを実証するための小さな社会実験なのでしょう。