今や日本の女流映画作家を代表する存在と言っても過言ではない、西川美和監督。『ゆれる』や『永い言い訳』などのオリジナル脚本映画を通じて、繊細な人間関係に芽生える不可思議な心の動きを、ドラマチックに描いてきました。
今回ご紹介する映画『すばらしき世界』は、今月公開された西川監督の最新作ですが、脚本に原作が存在するという点においては、彼女にとっての新たな試みに位置づけられる作品でしょう。
原作は、直木賞作家の佐木隆三氏が三〇余年前に発表した『身分帳(講談社文庫刊)』。長い年月を獄中で過ごした男の出所後の人生と、その苦労を綴った小説です。
作家志望の青年、津乃田(仲野太賀)のもとに、膨大なノートの束が送られてきます。送り主は津乃田がテレビマンの頃に懇意にしていた敏腕プロデューサーの吉澤(長澤まさみ)。ノートは、十三年の殺人罪刑期をまもなく終えんとする男、三上(役所広司)の「身分帳」の写しでした。「身分帳」とは、受刑者の生い立ちや犯罪歴を事細かに記載した台帳のことで、三上は個人の権利として、それを几帳面に書き写していたのです。
吉澤は、三上からの依頼を津乃田に託します。三上が、獄中から「身分帳」の写しとともにテレビ局に持ち込んだ企画。それは、幼い頃の自分を捨てた、行方知れずの母親との再会。吉澤は、その感動的な親子の再会に絡めて、三上の社会復帰の姿を番組にしようと考えたのです。殺人犯の取材に気乗りしないものの、生活のために渋々引き受ける津乃田でした。
一方、三上は長い刑期を終えて旭川刑務所をあとにします。「今度ばっかりはカタギぞ」と、ヤクザ稼業からの決別を誓う三上でしたが、東京で始めた新生活は、彼の予想以上に困難なものでした。
身元引受人の弁護士やケースワーカーの援助を受けながら、更生の道を探す彼の前途には、元犯罪者(かつヤクザ者)に対する社会の不寛容が立ち塞がります。さらに追い打ちを掛けるように、彼の身体を持病の高血圧の症状が痛めつけます。三上のフラストレーションは、もはや爆発寸前でした。
三上の目に映った塀の外は、果たして「すばらしき世界」だったのか。それとも、表題は単純なイロニーなのか。複雑な心の風景が、感動的に展開されていきます。
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