ようやくワクチンが世に流通しはじめて、新型コロナ禍の局面も新たな段階に移行しました。情報を冷静に注視しつつ、何が自身にとって、また世の中にとって最適解なのか、しっかり考えて行動していきたいものですね。
東日本大震災が発生して、来月で十年。今現在、世界は新型コロナ禍の真っ只中にあり、様々な心配事に対しての情報や警告が、メディアやSNSを通じて頻繁に飛び交っていますが、大震災当時もまさしく同じような状況でした。
特に、福島第一原発の放射能洩れ事故は、史上最悪として記憶されていた「チェルノブイリ原発事故」を上回る危機として報道され、近隣地域での人体被ばくや土壌汚染の可能性について、様々な懸念や憶測が流布されました。
それに一役買ったのが、当時の日本で利用者が爆発的に広がり始めたSNSツール、ツイッターです。誰もが自由に情報を発信出来て、且つ手軽な拡散機能を有するツイッターの「つぶやき」は、大多数の国民の、情報に対する飢餓感に大いに訴えかけ、一定の影響力を及ぼしました。
多角的かつボーダレスな情報が瞬時に伝わるツイッターには、残念な側面も。それは事実よりも感情を優先させるヒステリックな情報や、人心を混乱させる目的で発信されるデマやフェイクの類も多く含まれていたことです。コピーライターで、『ほぼ日刊イトイ新聞』主宰の糸井重里氏も、当時この状況を大変危惧していました。
『知ろうとすること。(早野龍吾・糸井重里著/新潮文庫刊)』は、糸井氏が当時のツイッターを通じて知った、物理学者の早野龍吾氏とともに、「科学的に考える力の大切さ」と、情報に接する際の「こころのありよう(姿勢)」について対談した内容をまとめたものです。
糸井氏は、原発事故に関する様々な「つぶやき」の中で、早野氏の情報の取り扱い方に関心し、信頼を寄せます。糸井氏は著書の中で、ご自身が情報を参考にする基準として、「よりスキャンダラスでない」、「より脅かしてない」、「より正義を語らない」、「より失礼でない」ほうを選ぶとしています。これらを配慮した情報には、人間の「野次馬根性」を抑え、より事実を尊ぶ姿勢が見えるからだと。
当時の早野氏の情報提供が、どのようなものであったのか。参考にされてみるのもよいでしょう。
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