無一物の若手起業家が創りあげた一大コーヒーチェーンの驚愕実話。

福岡市天神某所にあるタリーズコーヒーをよく利用します。

2階フロアの窓際席から、人と車の往来が盛んな昭和通を眺めつつ、少しだけ濃い目のコーヒーを楽しみます。立地の利便性も然ることながら、やはり落ち着いたお店の雰囲気が好きなんだと思います。今回は、そのタリーズコーヒージャパンの創業者が、自ら会社の成り立ちと黎明期を綴った本『すべては一杯のコーヒーから(松田公太著/新潮文庫刊)』をご紹介します。約20年前に出版され、当時からとても話題になったので、ご存じの方も多いでしょう。私は今回初めて読みましたが、あまりにも面白くて、二日間で読了しました。困難な目標に対しても、挑戦したくなる元気が湧いてきます。

 

タリーズコーヒー発祥の地は、米北西部の商業都市シアトル。

この街で80年代前半にスペシャルティコーヒー(高級豆から丁寧に抽出した、エスプレッソベースのコーヒー)のブームが興り、街の発展拡大とともに専門店が次々と開業しました。スターバックスはその専門店の代表格で、その最大のライバル店がタリーズでした。

 

のちにタリーズの日本法人を設立することになる松田氏は、95年に友人の結婚式でこの地を訪れ、スペシャルティコーヒーに出会ったことで人生が変転します。当時の彼は20代後半の銀行員でしたが、子ども時代の経験から、食を通じて国と国との文化的橋渡しが出来るビジネスで起業したい、と考えていました。この高付加価値・高価格の素晴らしいコーヒーを、ぜひとも日本人に紹介したい。そう考えた瞬間から、彼の無謀とも云える誘致活動がはじまりました。

 

今現在でもそうですが、海外の人気ブランドを自国に誘致する役割を担ってきたのは、潤沢な資金力とマーケット・人脈に恵まれた大手企業や商社です。しかしながら、当時の松田氏はしがないサラリーマン。預貯金は200万円程度。コネなし、カネなし、経験なし。武器といえるものは強い使命感と情熱だけ。

 

氏は、本書のなかで「私たちは生まれた時から特別な存在であり、一人一人に必ず『天意』が授けられている」と書いています。その使命感に導かれ、次々に引き寄せる彼の奇跡に、驚きが絶えませんでした。

 

(追記)

松田氏は、2006年に320店舗(2020年時点で747店舗)を達成してタリーズ事業を伊藤園に売却したのち、政界入りと引退を経て、現在はハワイアンパンケーキで有名なEGGS 'N THINGS JAPAN株式会社の経営や、その他複数の会社取締役としてご活躍中です。事業が伊藤園傘下に入った後も、松田氏が創業時に示した経営理念は、ほぼ変わるところなく受け継がれています。ちなみに、オリジナルの米シアトルタリーズは、残念ながら2013年に倒産しています。