「百の診療所より一本の用水路を」。 中村哲医師の献身に思いを馳せる。

今夏は、世界中の多くの人々が、東京2020オリンピック・パラリンピックに注目しました。しかし、この平和の祭典の最中にあっても、地球上の戦禍が途絶えることはありませんでした。

 

 

この時期、最も世界中を震撼させたのが、8月15日に起こった、反政府勢力タリバンによる、アフガニスタンの首都カブールへの侵攻と、大統領府無血開城でした。現在も、タリバンは着々と実効支配を強めており、欧米諸国が目論んでいたアフガンの民主化戦略は、はるか後方に頓挫した形です。

 

そんな時、私はあるネットニュースを目にして、愕然としました。

 

アフガニスタンといえば、当地で非業の死を遂げた、ある日本人のことを決して忘れることが出来ません。二〇年の長きに渡り、アフガン東部の農村や沙漠で、『緑の大地計画』と称する灌漑・緑化事業を指揮してきた中村哲医師。事業を推し進めた結果、1万6千ヘクタール余(福岡市の約半分)もの広大な土地が、潤った農地へと改良され、多くの農民が自給生活を再開出来るようになりました。2019年、彼はアフガン政府から名誉市民権を授与されましたが、その年の冬、ジャララバードで武装集団の凶弾に倒れ、惜しくも帰らぬ人となりました。

 

生前の中村医師は、アフガン国民から「カカ・ムラト(ナカムラのおじさん)」の呼び名で親しまれた存在。死後、彼の業績を讃えて、首都カブールの街なかに、中村氏の大きな肖像画が出現しました。

赤い花をつけた樹木を眺める、氏のおだやかな横顔。その肖像画が、カブール侵攻後のタリバン政権の手により、塗り潰されたのです。

 

「提唱するのは、人権や高邁な理想ではなく、具体的な延命策である」 

深刻な水不足に疲弊したアフガンの農村に立ち、中村氏が繰り返し訴えてきた言葉です。また、カネだけが右から左に流れる経済支援や、軍事的抑止が全く意味をなさず、逆に治安をさらに悪化させている現状にも、警鐘を鳴らし続けました。

 

大切なのは、国の豊かさの根幹を担う農民が、自らの手で自給出来るようになること。貧しくとも、日に三度の食事を、家族とともに摂れるようになること。その思いだけが、過酷な灌漑工事を後押ししました。

 

タリバンは、今後どのような国造りを目指すのか。

中村氏が理想とした、ささやかな幸福に満ちた農村での暮らし。それを守る政治や開発であってほしいと切に願います。