年があらたまり、神さまに一年の誓いを祈念して参りました。
元々、人並みの信仰心しか持ち合わせていない人間ですが、事業所得者になってからは、毎月の神さま詣でが習慣になりました。
どんな商いでも、最終的にサービスを買うかどうか決めるのは、お客さまです。その決裁に売り手の意思は介在しません。スキルの向上で成約率を高めていくことは可能ですが、それでも最終的に成約に至らないことは少なくありません。至極当然ですが、お客さまにも様々な事情があるからです。
努力だけでは如何ともしがたいモヤモヤを解消するためにはじめたのが、神頼みでした。毎月一日に、お客さまの平穏無事をお祈りする傍ら、わたし自身の誓いの成就を祈念するのです。
ところで、台湾や中国(特に香港)の人々も神仏詣でをしますが、日本人とは動機や事情が異なるのだそうで。彼らは『氣』の存在を強く信じています。『氣』とは、宇宙や自然、人間の根源に満ち溢れているエネルギーのこと。これをうまく活用できる者が、幸せで健康な人生を送れるのだそう。『氣』は、神仏が鎮座している場所に多く集まっているらしく、彼らは、その力を自身の身体に取り込みたくて、神仏詣でを行うのです。
世界中に多様な信仰があって、多くの人間がひしめきあいながら、時には神々にすがりつつ、懸命に生きています。人間のさまざまな悲しみや嘆きに寄り添い、生きるための『氣』を与え続けるだけでも、大事業。いかな神様とて、「もうムリ」と言いたくなるかもしれません。
わたしは、いつからか神さまにおねだりすることをやめました。今は、『誓い』を立てます。自分に対する約束を、神さまのもとで誓うのです。自分との約束ほど、守り通すのが難しいものはありませんから。
最終的な功徳は、自分の信念と働き次第でもたらされる。自分との約束を守り続けた者のみが、運『氣』を引き寄せるのだと信じたい。
それは、途方もなく気が遠くなるほどの時間と、強い意志によって達成されるものでしょう。そんな壮大な誓いを、長きに渡って見守ってもらえる存在は、神さま以外にはあり得ない気がしています。今はそんな想いを込めて、神さまの御前で神妙に手を合わせています。
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池田文子 (月曜日, 31 1月 2022 09:37)
明けましておめでとうございます。お久しぶりです。お元気そうで何よりです。私も元気にしてます。私は昔からお参りに行った際、母親から「頼んだらだめだよ。誓うんだよ」と教えられてきました。なので「こうなりますように・・・」ではなく「こうします。元気でいます」とかでした笑。「もし叶ったとしても人はお礼参りに来ることを忘れがちなので、頼んだらダメだ」と。近頃は戦争や飢餓や虐待やいろんなことで苦しんでいる人がこの世にはたくさんいて、その人たちの祈りでさえなかなか叶えられないでいる神様が、私たちのようにのんきに手を合わせてお参りに行けるような平々凡々に暮らしている人の頼みなんかを神様に聞いてもらおうなんて思うほうがおこがましいと思ったりしてます笑。追立さんも健康に気を付けて頑張ってください。
追立直彦 (月曜日, 31 1月 2022 12:06)
池田さん、コメントありがとうございます。ずいぶんご無沙汰しておりまして、申し訳ございません。お変わりなくお過ごしのようで、なによりです。
お母様、とても謙虚で素晴らしい方なんですね。池田さんのお人柄に通じるものが感じられるエピソードです。引き続き、よろしくお願い申し上げます。