テレ朝系列の長寿番組「おかずのクッキング」が、今年の3月で、48年の歴史に幕を閉じました。
この番組のメイン講師として料理を披露していたのが、土井勝氏と、息子の善晴氏です。放送開始当初から人気料理研究家であった勝氏ですが、平成5年に体調を崩し、善晴氏に講師の席を譲ります。以降の善晴氏も、ご父君に引けを取らないさわやかなお人柄と、軽妙な関西弁の語り口で、お茶の間の人気者であり続けました。
おふたりのご活躍をずっとテレビで拝見してきた私の目には、この父から子への料理研究家としてのバトンタッチは、順風満帆な様子に映りましたが、善晴氏の最近の著書を読んで、意外と険しい道のりであったことを知りました。
今春に上梓された『一汁一菜でよいと至るまで(土井善晴著/新潮新書刊)』は、今年65歳になった善晴氏の、料理研究家としての半生を綴ったエッセイ集です。
戦後日本の経済成長の過程をなぞるようにして生きてきた氏は、その間に生じた日本人の食に関する劇的な意識の変遷を目の当たりにし、大きな社会問題として捉えるようになりました。
戦後から十余年、貧しい日本人にとって、外食は一年に数回もないハレの食事の機会でした。しかし、高度成長期を経て、街にはお手軽な値段で楽しめるファストフードや洋風食堂が出現し、外食は日常の風景となります。食の洋風化は外食に留まらず、家庭の食卓をも席巻しました。バブル期以降は、料理人のレシピとクオリティを家庭料理で再現する風潮が高まり、献立の多様化は一気に進みます。
その一方で、主婦の「料理疲れ」の声もまた、社会問題として頻繁に聞かれるようになるのです。善晴氏が数年前に提言した「一汁一菜(ご飯を炊いて、あとは具だくさんのお汁を作ったら十分。家庭の料理は毎日毎食この一汁一菜でもいい、という考え方)」主義は、健全な人生に不可欠な家庭料理の営みを、楽しくムリなく日常に取り入れてもらうための考え方として推奨されました。
家庭料理の営みを「生活のなかにある美」と表現する善晴氏。また、そこで育てられた味覚や経験は、料理を理解するための、自分なりの基準になるとも記しています。料理をする行為は、人間と自然の絆を再認識する営みに他ならない、とも。苦悩の末、その考えに辿り着くまでの氏の旅路を、このエッセイ集から読み取ることが出来ます。
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