混沌に満ちた世界で、「日常生活の幸福」を詠んだ清貧歌人の生き方。

コロナ禍を契機として、世界の様相は一変しました。

不安と恐怖を数えあげれば、キリがありません。先日の参院選直前に起こった惨事、安倍元首相襲撃事件の報道に、いまだに暗澹たる気持ちで接している方も多いと思います。日々正気を保ち、健全な日常生活を送ることが、どれだけ大変で有難いことか。私たちは現在、身をもって体験している最中です。

 

押し寄せる外圧と内乱で混沌としていた江戸幕末期。

その時代を生きた庶民も、私たちと同様の不安と恐怖に怯えていたでしょう。ともすれば、負の感情に心身を支配され、自分自身を見失いそうになる世情の中で、日々の生活に存在するささやかな愉しみを詠んで、心のなかの安寧を保とうとした清貧の歌人がいました。越前国(現在の福井県)の出身で、国学者でもあった橘曙覧(たちばなのあけみ)です。

 

曙覧が遺した歌集『独楽吟』五十二首の和歌の歌い出しは、すべて「たのしみは~」から始まり、「~(する)時」で結ばれます。また、当時の和歌には珍しく、わかりやすい口語体で詠まれているのも特徴的でした。彼はこれらの和歌を通じて、日常生活に息づく、ささやかな幸せや家族愛の尊さを表現したとされています。

 

ちなみに曙覧は、越前では由緒ある商家の出身でしたが、よほど商売が性に合わなかったのか、28歳で弟に家督を譲り、以降は、寺小屋の月謝などで細々と生計を立てつつ、貧しいながらも妻子を養っていたそうです。

 

いくつか私が気に入った歌を、自身の心象に重ねながら紹介します。歌から垣間見える曙覧の生き方や価値観に想いを委ねることで、心の平和が訪れるかもしれません。

 

たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどい 

頭ならべて 物をくふ時

 

家族が揃って同じ食卓を囲む。ひと時の奇跡を味わうことの大切さ。

 

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで

無かりし花の 咲ける見る時

 

わが家にも、両親が丹精込めて育てているツツジがあります。五月雨降り注ぐなか、ある日突然咲きほこるその美しさに圧倒されます。

 

たのしみは あき米櫃(びつ)に 米いでき

今一月(ひとつき)は よしといふとき

 

わかります!このひと時の安堵感。一年先は見通せませんが、資金繰りして「今月もなんとか生きていける」と思えると、ホッとします。