たった一つの「本当の自分」は幻想か?「個人」という概念に潜む限界。

かつて平成を生きた若者たちがよく口にしていた言葉のひとつに、「自分探し」というものがありました。「本当の自分とは何者か」という問いかけは、本人が唯一無二と信じる自身の人格(≒個性)に向けられていたと思われます。

 

しかし、ひとりの人間に備わっている人格は、本当に唯一無二のものなのでしょうか?私たちは、その時々の立場や状況によって、ごく自然に言動を変えたり、異なる思考で対応する局面があります。その時に現れる人格は、「本当の自分」に対峙して、「偽りの人格」なのでしょうか?そこに疑問を呈し、作品を発表し続けているのが、芥川賞作家の平野啓一郎氏です。

 

先月まで放送されていたNHKの土曜ドラマ『空白を満たしなさい』は、自死したはずの主人公・土屋哲生が、三年後に蘇り(ゾンビではありません笑)、自らの死の理由を追及するという物語でした。原作を執筆したのは平野氏です。平野氏は、今から十年ほど前に、この作品を「分人主義」シリーズと銘打って発表しましたが、この「分人主義」という言葉は、氏の造語であり、ここ数年の執筆活動の主要テーマともなっています。

 

平野氏は、著書『私とは何か(講談社現代新書刊)』の中で、人格についてこのように記しています。「一人の人間は『分けられない』存在ではなく、複数に『分けられる』存在である。だからこそ、たった一つの『本当の自分』、首尾一貫した、『ブレない』本来の自己などというものは存在しない」。また、「個人という単位の大雑把さが、現代の私たちの生活には、最早対応しきれなくなっている」とも。非常に興味深いテーマです。

 

ドラマのなかで、土屋は自分が自死を選んだ理由に納得出来ず、カウンセラーに苦しい心情を吐露します。その時にカウンセラーが口にした助言は、「個人」という概念の限界を表現しているようでした。「その中の嫌な自分は、土屋さんの中の一部に過ぎません。土屋さんの中には嫌じゃない自分もいるはずです。(中略)私たちは付き合う人の数だけ、いくつも自分を持っている。嫌な自分だけじゃなくて、父親の自分や親しい人との自分もいるでしょう」

 

さらに、彼は言葉を続けます。

「人は生きていくには、どうしても自分を肯定しなければならない。でも、自分を丸ごと愛するのは、なかなか出来ない。まずは、好きな自分を見つけること」からなのだと。

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コメント: 2
  • #1

    池田文子 (木曜日, 25 8月 2022 10:01)

    感銘・・・
    確かに・・・
    自分はたくさんの自分から構成されていて、その時々の合った自分で生きているんですよね。一人の自分を追い詰めるのではなく小さなことでいいから好きな自分を見つけて、そこからスタートして、自分をたくさん認めてあげれるようになると少し楽になるのかも知れません。

  • #2

    追立直彦 (木曜日, 25 8月 2022 12:30)

    池田さん、コメントありがとうございます。私もドラマを観てはじめて「分人主義」なるものに触れました。

    社会に出て、ある程度大人としての経験を積めば、本人の好き嫌いに関わらず、やむを得ず立場によって言動を変えるのは致し方ないこととあきらめもするのですが、そういう自分に対して、あらためて振り返る機会は、そうはないですね。

    これから社会で活躍をはじめる若い人には、むしろ知っておいても損はない考え方だと思いますが、ある程度の経験を積んで、なにかしらキズを追って苦しんでいる大人の方にも、お役に立てる考え方かも知れません。