「利他」はどこからやって来る? その循環を育むための大切な考察。

先月、戦後日本経済を代表する経営の大哲人が逝去しました。

京セラや第二電電(現KDDI)を興し、経営破綻した日本航空を立て直した経営者、稲盛和夫氏です。

 

「人間として何が正しいのかを座標軸に、そこから物事を全て経営判断することが大切」というメッセージからもわかるとおり、会社経営に強く哲学(フィロソフィ)を求めた人物でもあります。

 

稲盛氏が、最も口にしていた言葉が「利他の心」です。

「利他」を辞書で引くと、「他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと」とあります。元々は仏教用語だそうです。

 

氏の言葉によれば、「利他の心で判断すると、周囲が協力してくれる。視野も広くなるので、正しい判断が出来る。より良い仕事をするためには、自分だけのことを考えて判断せず、周囲を考え、思いやりに満ちた利他の心に立って判断すべき」という解釈になります。そして、そのようなおもいやりの循環を育むことが、滅亡の危機に瀕する現在の世界を、よりよき方向に導くのだと諭されました。

 

しかし、この「利他」という概念ほど、実際に行動に反映させるにおいて、難しいものはないでしょう。誰にでも保身の情はありますし、「他人のため」と奮起しても、それを偽善と捉えて、非難する人も世の中にはいます。かほどに難しいテーマだからこそ、稲盛氏も生涯を通じて、この「利他の心」を模索し続けたのでしょう。

 

最近、『思いがけず利他(中島岳志著/ミシマ社刊)』という本に出会いました。著者は、大学教授で政治思想研究家なのですが、この本の内容がまあ難しい。いえ、読みやすくて興味深いのですが、何度か読み込まないと理解が進みません。しかし、「利他」を考察するにおいて、一読に値する内容だと感じます。

 

中島氏は、利他を「行うもの」ではなく、「未来からやってくるもの」だと表現します。「利他には、意識的に行おうとすると遠ざかり、自己の能力の限界を見つめたときにやって来る」性質があるとも。そのような考察に行き着くまでの過程が、様々なエピソードをもとに記されています。

 

利他心は必要。けれども意識すればするほど遠ざかる。では、私たちはどうすればよいのか。中島氏によれば、「与えられた時間を丁寧に生き、自分が自分の場所で為すべきことを為す」しかないと結びます。

 

稲盛氏が、自らの著書にも掲げられた言葉、「ど真剣に生きる」にも通じるものがありますね。