「フェアプレー精神」で権威主義に挑んだ、若き教師と教え子たちの実話物語。

年末の日本に、多くの勇気と感動を与えてくれたサッカーワールドカップ大会が閉幕しました。日本代表の悲願、ベスト8進出はならず。しかし、優勝経験国のドイツやスペイン、強豪クロアチアと堂々渡り合い、大会の歴史に大きな爪痕を遺してくれました。

 

さて、現在の日本サッカーのお手本となった国が、ドイツであることを知る人は多いと思います。そのドイツにサッカー(フットボール)が伝わるのは一九世紀後半。当時の帝政ドイツは、権威や階級を重んじる差別社会でした。伝えた人物は、英国であらたな「国民国家(確定した領土をもち国民を主権者とする国家体制およびその概念。絶対王制批判のもと、国民が主権者の位置につくことにより形成された近代国家)」の息吹に触れて帰国した、若きドイツ人教師。

 

彼がサッカーを通じて生徒たちに伝えたかったもの。それは「フェアプレー精神」と「個の尊重」でした。当時のドイツ社会にとっては、危険思想とも捉えられかねないものだったようです。

 

今回ご紹介する映画『コッホ先生と僕らの革命(セバスチャン・グロブラー監督/ドイツフィルム他制作、ギャガ他配給)』は、権威社会の縮図たる学校のなかで、サッカーを通じて新しい時代の風を吹き込もうと奮闘した、教師と生徒たちの実話を基にして作られた作品です。現代スポーツの源流に流れるフェアプレー精神を、再認識してみてはいかがでしょうか。

 

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1874年の帝政ドイツ。

英国留学を終えた若きコンラート・コッホは、母校カタリネウム校の英語教師として着任します。

 

「規律と服従」を教育方針に据える学校の気風と、社会的弱者や他国民(特に英国民)をまったく尊重しない生徒たちの姿に息苦しさを覚えた彼は、留学時代に仲間と楽しんだサッカーを通じて、生徒たちの頑なな態度をほぐそうと試みます。同時に、競技を理解するうえで重要な要素である「フェアプレー精神」を啓蒙していきます。

 

サッカーに親しみ、仲間や他者に敬意を払うことの大切さを学ぶ子どもたちに、周囲の大人や教師たちは、次第に危機感を覚えはじめます。「危険思想の洗脳」とのレッテルを貼られたサッカーの授業は、禁止に追い込まれるのです。

 

納得出来ないコッホたちは一計を案じます。国を巻き込んでの大一番に挑む彼ら。果たしてその悲願は実現するのでしょうか。