大人と子供。人間同士として真摯に向き合う瞬間に、その区別は無意味である。

ノッポさんをご存じですか?

昭和45年から20年間に渡って放送された人気こども番組『できるかな?』の不思議なおじさんですね。演じていた高見映さんは、ご自身の著書のなかで、子どもについてこう語っていました。

 

子どもだからといって、経験も浅い、物事をよくわかっていない存在とは、これっぽっちも思っていない。(中略)小さい人たちというのは、実にいろいろなことがわかっているのです。大人が思うよりも、いやおそらく大人よりも、ずっとずっと賢いんですから」。

 

高見さんは、「子ども」という表現が好きでなく、敬意を込めて「小さい人」と呼んでいました。子どものことを、「大人に成長するまでの未熟な存在」であるとは、考えていなかったのですね。

 

私たちが大人と接する時、その目の前にいる他者の真意を、細やかに配慮しつつ応対をします。ところが、相手が子どもの場合は、想定外の行動を取られることも多く、戸惑いを隠すかのように乱暴な態度を取ったり、わざと無視することも少なくありません。

 

しかし、子どもも一個の人格であり、心ない応対や向き合おうとしない態度は、確実に彼の心象や人間性を傷つけます。目の前でトラブルを抱えた人間に対処するとき、そこには大人も子供もない。映画『カモンカモン(マイク・ミルズ監督/A24制作・ハピネットファントムスタジオ配給)』を観て、あらためて思い知りました。

 

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ラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)は、妹ヴィヴの子どもである9歳の男の子ジェシーを預かることになりました。ヴィヴの夫が精神疾患を患っていて、彼の治療の世話に専念する必要があったからです。

 

ジョニーとジェシーの共同生活は、ぎこちない雰囲気ではじまりました。生意気ざかりで好奇心旺盛なジェシーですが、夜にはさびしがり屋の顔を覗かせることも。妄想ゲームに付き合わされたり、突然街なかで姿を消したり、無神経な質問を浴びせかけられたり。ジェシーの不可解な言動に振り回され、ジョニーはクタクタ。

 

しかしながら、彼の内面に両親の不安定な関係性に怯える底知れない不安があることを、やがてジョニーは理解してゆくのです。