夢うつつ、桜の移ろいに人生を重ねる日本人。「桧原の桜」奇跡の逸話。

桜の季節がもう間近ですね。

九州地方の開花予想は25日前後とされています。今年のお花見は、各地でここ数年来の賑やかさを見せることでしょう。

 

日本人にとって、桜は国花に定められるくらいですから、昔から特別な意味を持つ花ですよね。古来から稲作文化とともにあったわが国では、桜の樹は豊作の行方を占う、神さまの憑代であったのだそうです。私たちのご先祖も、満開の桜を眺め、豊作を祈りつつ種籾を蒔いたことでしょう。

 

つぼみが綻びはじめたかと思うと、狂おしいほどの勢いで一斉に開花し、見ごろを迎えたと喜んでいたら、一夜の風雨がたくさんの花びらを散らしてしまう。

 

そのような、儚くも美しい花弁の一生は、私たちの死生観にも濃厚な影響を与えたようです。日本人の多くは、夢うつつの桜の移ろいに、人の生涯を投影させる傾向が、特に顕著のように思います。人と桜が織り成す逸話は、日本中の至るところに存在します。桜を、まるで自分と近しい間柄のように愛でる心が、そのような物語を紡ぎ続けているのでしょう。

 

福岡市南区に、桧原という地域があります。近隣の自然も豊かで、住環境も整備されている、とても暮らしやすいと評判の地域ですが、昭和50年代初頭は、まだ生活道路などもしっかり整備されていない、不便なところでした。

 

昭和59年3月、その桧原地区に道路の拡張計画が行われることになりました。工事区域には、昔から住民に愛されてきた樹齢50年の堂々たるソメイヨシノが9本ありましたが、そのすべてが伐採される計画でした。

 

最初の樹が伐採された翌日、住民のおひとりがそれを憐れに思い、短歌を詠んで樹木にさげました。

花あわれ せめてはあと二旬

ついの開花を ゆるし給え

せめてあと二週間、花が咲き誇るまで生かしてあげてほしい、との嘆願の歌でした。

 

この短歌はマスコミにも取り上げられ、以降たくさんの短歌が樹木に寄せられます。そのなかには、当時の福岡市長の返歌もありました。

桜花惜しむ 大和心のうるわしや

とわに匂わん 花の心は

 

市長の呼びかけで工事区域は見直され、残り8本は伐採を免れました。平成19年には、その一帯が「桧原桜公園」として整備されます。現在では、この逸話にちなみ、桜を題材にした短歌と写真の賞「桧原桜賞」が、地域住民と多くの協賛企業の支援で、この時期に開催されています。