カーネルおじさん、ご存じですよね?
白髪にゆたかな白ヒゲを蓄えた白いスーツの紳士。とびきりのフライドチキンを世界中に広めたKFCの創業者。今もなお、私たちをお店の入り口で温かく迎え入れてくれる、あの人物です。
しかし、彼がフライドチキンで大成功したのは65歳以降。その前には全ての財産を失ってもいます。そこに至るまでに20以上もの転職と4度の命に関わる危機を経験。90歳でこの世を去るまで、とてつもない波乱万丈の人生を生きました。生涯現役ビジネスマンを志す私にとって、まさに立志伝中のヒーローのような存在です。『カーネル・サンダースの教え・人生は何度でも勝負できる!(中野明著/朝日新聞出版)』は、十数年前に手にしてから何度も読み返してきた、私の貴重な一冊です。
カーネルおじさんは、1890年に米インディアナ州で生まれました。とても貧しい家庭に育った彼は、10歳で農家での住み込み下働き奉公に出ています。長じて、生命保険やタイヤなど、さまざまなものを販売してトップクラスの成績を収める優秀なセールスマンになる彼ですが、実は、この10歳のときの苦い経験から得た学びが、そののちの彼の働き方の基礎となったのだそうです。
10歳のハーランド少年(カーネルおじさんの本名)は、そのはじめての職場でいい加減な仕事をしてしまい、雇用主の怒りを買います。わずかひと月で職場を放り出され、実家に帰宅した少年を、母親は大いに叱責したそうです。
そのとき、少年は自分自身に誓います。次の仕事では絶対にヘマをしない、やり通してみせると。のちに彼が格言とする「できることはすべてやれ。やるなら最善を尽くせ」の人生が、ここから始まりました。以降、彼はさまざまな職を得ますが、このルールはしっかりと守り通します。彼の仕事に見せる熱心さは、彼自身の誇りとなり、生涯の生き方のルールとなっていきました。
カーネルの生涯は、気づきや学びを積極的に活かす人生でもありました。一流のセールスマンとして活躍していた頃には、「最も奉仕する者が最大の利益を得る。我が身の前に他人に奉仕せよ」という言葉に感動し、その実践は、後のレストランやホテルの経営にも活かされます。
「年がいくつであろうと、やれる仕事はたくさんあるさ」。65歳以降さらに多忙を極めた彼ですが、仕事における一生涯の学びが絶えることは、決してなかったのでしょう。
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